第二章 王仁三郎だけが知っていた霊界の参考機密

 Ⅱ霊界の最高機密  9  大本霊団とは何か

大本は新興宗教の元祖といわれるほど、大本から派生した教団は数多い。そしてどの教団も、出口直や王仁三郎の影響を強く受けている。だから現界的にはまったくちがった教えに見えても、霊界ではひとつの圏内だと考える。私はそれらをひっくるめて、「大本霊団」と名づけている。霊界物語第一巻「発端」は述べる。竜宮館(大本を指す)には変性男子(出口直)の神系と変性女子(王仁三郎)の神系の二大系統が歴然として区別されている。一つの教団の中に二つの神系があり、それが区別されて交わることがないという。私はその意味が長い間わからなかったが、教団改革運動を通じて大本が分裂していったことにより、その意味が体験的にようやく理解できるようになった。それは、「現界的には一つの教団に属していても、霊界がちがう」ということである。直と王仁三郎の関係は、キリスト教でいう「ヨハネ」と「キリスト」の関係に似ている。そして出口直の霊系に属する人は、王仁三郎をなかなか理解できない。出口直のことは全面的に信じるが、王仁三郎のことは何となくうさん臭く見える。直が゛主゛ であって、王仁三郎は゛従゛ぐらいに評価する。王仁三郎の霊系に属する人は王仁三郎を全面的に礼賛し、救世主と信じるが、直に関してはキリストの出現を予告したヨハネのように、先走りぐらいに軽く見る。その系統は大本から分裂していった大本霊団にも見事に当てはまる。出口直と王仁三郎の二大霊系があり、その霊系はさらに表と裏に別れる(五十七ページの図を参照のこと)。出口直の霊界は筆先の世界である。筆先の核心とは、゛三千世界の立替え立直し゛だ。三千世界とは現界だけではなく、神界、幽界をも含めた宇宙全体をいう。立替えになればどうなるか。筆先は、「人民三分になるぞよ」と断言する。問題は三分の解釈だが、三十パーセントか、三パーセントかで議論は分かれている。だが仮に三十パーセントにしても、世界は破滅である。立替えの時期は、「足元から烏が立つぞよ」とある。野原を歩いていると、突然、鳥が足元から飛び立って驚かすように、ある日、突然、起こるという。また立替えについて、「この神の申したことは一分一厘ちがわんぞよ。毛筋の横幅ほどもまちがいはないぞよ」という。さらに、「これが違うたら、神はこの世におらんぞよ」と、神の権威にかけて断言する。もともと出口直という人は、人格的には一点非の打ちどころのない高潔そのものの女人で、封建時代の倫理道徳を人体化したような人であった。役員信者たちは出口直をそのまま、生き神さまと信じ、事実「大神さま」と尊称していた。その生き神さまに本物の神がかかって言わせたのだから、三千世界の立替えを信じて疑わなかった。当時、浅野和三郎や学者たち、知将と言われた秋山真之や陸海軍人たちが立替えの筆先を信じ、大正十年立替えを天下に絶叫した。王仁三郎が抑えようとしても、抑えられるものではなかった。それが当局の忌諱(きい)に触れ、第一次大本弾圧(第一次大本事件)が起こる。しかし現実に目を向けてみると、今もって人類が三分になるような立替えは起こっていない。多くの犠牲者を出した第二次世界大戦にしても、人類三分というにはほど遠い。それでは「神は嘘をついたのか」という疑問も起きよう。だが私は、その立替えが実現 していないからこそ、筆先の預言は真の神の言葉だと信じる。<恒 私自身は、第二次世界大戦は立替と考えています。大災害をここまで小規模にできた>まだよちよち歩きの幼な子が井戸の縁にのって遊んでいたと仮定しよう。それを見た母親は、血相を変えて叫ぶだろう。「坊や、およし。そんなところで遊んでいたら井戸に落ちるよ。落ちたら死ぬよ。お母さんは嘘をつかないよ」その叫びは半ば嘘。落ちるかもしれないし、落ちないかもしれない。たとえ落ちたとしても、溺れ死ぬとは限らない。助かる可能性だってある。だが嘘ではあっても、子を思う母の心は真実で、だからこそ子供は肝に銘じる。神から見れば、人類はまさに井戸の縁で遊んでいる子供だ。いまや核という火遊びにも夢中の聞き分けのない子供だ。だから三千世界の立替えの警告は、人類の父であり、母である神の叫びなのだ。筆先は言う。天災がないというてえらいご不足。天災が早うありたらどうするつもりざ。世界はつぶれても、世界の人民がみななくなりても、我さえよけらよいという精神。改心いたすが遅〈なりて、数あるものも総ぞこないになることになるぞと申してあるが、いろいろ焦るよりも、松心でおりて、この方の申すようにしておりて、仕組どおりの御用いたせば、世間へ早うわかりて、このなかもこれだけ苦しみいたさずに、ものごとが勇みてでけるぞよ。(明治三十八年旧三月九日)