霊界の最高機密六

 「五情の戒律」

前述のように、人には神からすばらしい一霊四魂をわかち与えられているから、王仁三郎は「人は神の子、神の宮」という。一方、「人は罪の子」と説く性悪説の宗教も多い。では神の子か罪の子かどちらが正しいのか。一霊四魂には五情の戒律がある。直霊は「省みる」、荒魂は「恥じる」、和魂は「悔いる」、幸魂は「畏る」、奇魂は「覚る」の戒律である。この戒律は、元々神から与えられて人間本来がもっているものであり、宗教が定めた゛戒律゛とはまったくちがう。五情の戒律は一霊四魂を自動車のエンジンに例えれば、ブレーキに相当する。性能のいいエンジンを持つ車でも、ブレーキが故障していれば、危険極まりない凶器に化す。「直霊」が「省みる」の戒律を忘れれば、至善至美の純霊もたちまち転じて「幽霊」になり、四魂それぞれの戒律を失う。「荒魂」は恥ることを忘れ、強いもの勝ち、私欲のために力をそそぐ「争魂」になる。「和魂」は悔いることを忘れ、悪や憎しみに走る「悪魂」になる。「幸魂」は畏れることを忘れ、神にも天地の道理にも逆らう「逆魂」になる。「奇魂」は覚ることを忘れ、善悪美醜の判別さえ狂う「狂魂」になる。王仁三郎は宗教の定めた゛戒律゛ を否定する。゛戒律゛ で信者を縛ろうとする宗教は人聞を獣扱いにしているようなものだ。戒律のるつぼにはめんと自由なる 人の心をしばる宗教やれ五戒 やれ十戒とむつかし〈 人の心をしばる曲教
人を罪の子とする宗教は、゛戒律゛でがんじがらめにしないと不安なのであろう。そして人間の霊魂を盆栽の松のようにねじ曲げてしまい、こざかしい小人間ばかり作り上げる。人は神の子であり、神から与えられた一霊四魂と五情の戒律をのびのびと育て上げれば、人為的に作られた戒律など、不要なばかりかむしろ害になる。