霊界の最高機密国「時期を断定した予言」と「人民三分」

 ゛神がかり゛ というと、私はまず疑ってかかる習性がついたようである。というのは、私の知る範囲で、正しい神がかりにお目にかかったことがないからだ。なぜかというと、高い次元の神霊が人間にかかることはごくまれであり、ほとんどが妄想の類か、低級霊の仕業で、すぐ底が割れる。釈迦やキリストなど、世界的に権威ある宗教者や預言者は、この世のあり方を不完全の世界とし、いずれは弥勒の世、神の国の将来を約束する。だがその前に、ハルマゲドン、人類の危機、世の終末、直の筆先で言えば大峠が訪れる。だが世の終末は、はっきりした時期を明らかにしてはいない。仏教でいう弥勒菩龍の出現が五十六億七千万年後としてあるのも寓意であって、実数ではなかろう。世界の多くの人たちを浮き足立たせているノストラダムスの予言詩にしても、世の終末の時とされる一九九九年七月の解釈は幾通りもある。それも私から見れば、いずれもかなり強引に結論に導いているとしか思えない。新宗教の教祖と言われる人たちや霊能祈講師といった類で個人で宗教活動めいたことをしている人たちなどが多数存在し、超物理現象を起こして見せたり、病気治しや現世利益などで多くの人を引き寄せている。だがそれぐらいのことなら、動物霊や低級霊たちでも十分可能である。そして多くの人たちが兇党霊の発するでたらめの予言にまどわされ、せっかくの人生をロスしている。兇党界・兇党霊の詳細については『出口王仁三郎が語る霊界の最高機密』(KKロングセラーズ刊)を参照されたい。それらの予言の多くは不幸や滅びを示唆し、時期を断定して人間に危機感を与える。だがそれらの予言は、九十九パーセント(百パーセントと言いたいが、あとの一パーセントは私の知らない事例があったとして)当たらぬ。なぜ当たらぬのか。それには霊界の仕組みを知る必要がある。前にも言ったが、霊界と現界は合わせ鏡であり、現界で起こる現象はすでに霊界で起こっている。だから霊感者が霊覚で霊界のできごとを察知すれば、いずれは現界にそれが写るのだから、それが予言として示されることはあり得る。だが問題はその時期だ。霊界の時の流れは霊の情動によって左右されるものだから、現界の時間空間とは異なる。だから霊眼で霊界のできごとを見た場合、過去も現在も未来も並列的に写る。それがいつどんな順序で現界に写るかは、人聞の判断を越える問題である。例えば、いま空に浮かぶ雲はどこから来てどこへ行く?宇宙間一物といえども、原因なく因縁なくして現われるものはない。しかしその真の原因さえ、容易につかむことはできまい。ましてあの雲がどのように変化するか、その未来をかりに霊視したとしても、それが何分後、何日後に現われるか、どうして予測できよう。ところが世紀末に近づくにつれ、゛世の滅び゛がまるで変更できぬスケジュールのように、声高に叫ばれている。そして悲しいことには、若い世代にそれを信じる人たちが増えていることである。彼らがさし迫った人類滅亡を信じれば、今さら何の努力もむなしい。建設的な労苦を重ねるよりも、残り少ない人生を゛快楽゛で消費するほうが賢明に決まっている。面倒な子育てなんて。そうした希望を失った若者が増えるほうが、人類の未来のためには恐ろしい。むしろ邪神界はそちらの効果のほうを狙っているのではないかとさえ思えてくる。筆先には立替えの時に、「人民三分になる」という恐ろしい警告があるが、この場合、多くの人民が我よしの強い者勝ちの獣の心になり、人の心を持った人聞が三分しか残らないという解釈もあり得る。そのほうが、私には、逢かに現実昧のある警告に思える。