霊界の最高機密 10 宇宙の謎「時間と空間」の全貌

王仁三郎は、時間や空間について、独特の観念を持っている。まず、宇宙には無限大の霊界と現界がある。視界の宇宙は小宇宙を包含する大宇宙であり、その大宇宙がいくつもある。時間については、大過去と大現在と大未来があるという。そしてそれぞれに過去、現在、未来がある(次ぺージの図を参照のこと)。大過去は神代時代に当たると思われる。現在の私たちは魂を霊界におきながら、大現在のなかの現在に住んでいる。時は季節を追って螺旋状に進みながら、大未来へと向かう。個々の肉体は滅んでも、血統(DNA)にその記憶を刻みつつ、生き通しの霊魂とともに再現の時節を作るかのようである。大過去、大現在、大未来という時の流れを見ていくと、どうも大過去から大現在へ、大未来へと移る節目に時間の質的転換があるのではないかと思われる。そして大過去の過去は大現在の過去に、大現在の過去は大未来の過去に投影される。大過去の未来は大現在の未来に、大現在の未来は大未来の未来へ投影されるシステムではないかと思われる。だからこそ今という今を大切にせねばならぬ。そして大過去の過去は大現在の過去に、大現在の過去は大未来の過去に投影される。大過去の現在は大現在の現在に、大現在の現在は大未来の現在に投影される。大過去の未来は大現在の未来に、大現在の未来は大未来の未来に投影されるシステムではないかと思われる。だからこそ、今という今を大切にせねばならぬ。大過去の時代であろう神代の話は、それこそ世界各国で神話の形で残されている。そして、おもしろいことに世界で語り継がれている話には、たくさんの共通点があり、わが国の古典『古事記』神話の中でも、天照大神と須佐之男命の対立、天岩戸ごもり、岩戸開きは過去を語るのみでなく、世の終末預言とも読み取れる。大本の成り立ちも「記紀神話」が核になっている。なぜならば、岩戸開きと立替立直しは共通項で、くくられるからである。天照大神が岩戸にこもってしまったためにこの世が真っ暗になり、百万の神々が工夫を凝らす。結局は長鳴烏を鳴かせて、天照大神に夜が明けたと錯覚させる。そして、天宇受売命(あめのうずめのみこと)のヌードダンスで神々が笑いさんざめくと、天照大神は、「自分より立派な神が現れたか」と岩戸を細めに開き、鏡に映る自身の美しい姿に驚くところを、力の強い手力男(だじらからおの)神が引きずり出す。筆先ではそれを第一の岩戸開きとし、それは嘘と力で無理に岩戸を開いたから間違いであったときびしく批判し、第二の岩戸開きのやり直しを命ずるのである。三千世界の世の立替えと申すのは、世界の人民の身魂の立替えのことであるぞよ。世界の身魂がみな総ぐもりになりてしもうて、言い聞かしたくらいには、改心のでける身魂はないようになりておるぞよ。昔の弥勒の世は結構でありたなれど、暮れていきよると、身魂に曇りがでけてきて、天照皇大神宮(天照大神)どののおりにも世の立替えをいたしたが(岩戸ごもりを指す)、天照皇大神宮どののおりは、ここまでにもなかりたなれど、こんどの二どめの世の立替えは骨がおれるぞよ。まえの天照皇大神宮どののおり、岩戸へお入りになりたのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸開くのが嘘を申して、だまして無理に引っ張り出して、この世は勇みたら良いものと、ぞれからは天宇受売命どのの嘘が手柄となりて、この世が嘘でつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり。(明治三十八年旧四月二十六日)古事記が神典といわれた戦前・戦中に、岩戸開きを否定することは不敬であり、命とりの主張であった。大過去の過去に起こった古事記神話が時を経て、大現在の過去となった大本の開教期に再現される。また出口直と王仁三郎の関係にも、必然的に過去が投影される。筆先は、大本発祥の地、綾部を「地の高天原」と位置づける。明治三十四年四月二十六日、出口直・王仁三郎・澄ら一行三十六人によって、元伊勢水の御用が行なわれた。ついで七月一日、直・王仁三郎・澄ら一行十五名は出雲火の御用に徒歩で出発し、二十日に綾部に帰る。つまり筆先の神の命ずるままに、もっとも霊威の強い火と水を神話の故郷伊勢と出雲から呼び入れたのだ。その帰途、直に天照大神、王仁三郎に須佐之男命がかかり、激しい言霊戦を始める。それは綾部に帰ってからも収まることなく、二人の戦いは数年続く。大本歴史の中でも特異な一時期で、「火水の戦い」といわれる。当時の生き証人たちを私は取材したが、仲の良い義理の母と子に突如神がかかるや、王仁三郎は坐ったまま飛び上がり、天井を頭でぶち抜き、下りた両足で畳を踏み抜く。障子は倒れ、長髪は逆立ち、怒号は近所じゅうに鳴り響く。対する直も顔面紅潮、四股を踏んで応える。庭には近所の見物人が群がって、息を呑んで眺めている。二人の神懸りが去ると、「やれ、すさまじいことやった。かないまへんなあ」と、またもとのむつまじい親子にかえって、茶を飲んでいる。役員信者たちは直を天照大神の再現と信じ、対する王仁三郎を須佐之男命の役割と信じた。須佐之男命は天照大神を岩戸に押し込めた悪の張本人と考え、ことごとに王仁三郎の行動を妨害した。それでも教団から追放しないのは、第二の岩戸聞きのために、須佐之男命の悪役を演じる王仁三郎がかけがえのない人材だったからである。実に奇妙な論理だが、大本の中に大過去の神話が息づいていたのである。