「時期が解った予言」をどう伝えたか

 「時期が解りながら、その時、何が起こるか解らない予言」を示そう。大正七年六月に王仁三郎が詠んだ歌である。神の国大く正しき十年の 正月五日は吾れ悩ましも「大く正しき十年の」は大正十年をさす。そして神示の場合、月日はほとんど旧暦で示される。大正十年旧正月五日は新暦で二月十二日。何が起こるか不明だが、王仁三郎に何か忌まわしい出来事が起こるらしい。そして起こってから、なるほど、このことだったのかと納得する。大正十年二月十二日、大阪梅田の大正日日新聞社で起臥し筆をとっていた王仁三郎は、静かに検挙される。第一次大本事件の勃発である。この事件で役員信者たちが比較的平静であったのは、すでに『神霊界』で弾圧を暗示するような筆先が掲載されていたからである。ちなみに直のひらがなばかりの筆先を王仁三郎が整理し、漢字や句読点をつけて発表したものを「表の神輸」といい、直の生前に示した王仁三郎の筆先を「表の神諭」に対して「裏の神輸」という。さらに直の昇天(大正七年十一月六日)後に王仁三郎の示した筆先は「伊都能売(いづのめ)神諭」と呼ばれる。『神霊界』(大正八年二月一日号)で発表された表の神論の一節を引用する。…艮の金神の教が広まるだけ、世界は騒ぎ出すぞよ。何もわけも知らずに方々の新聞が悪く申して、体主霊従の行り方で邪魔を致すようになるから、其覚悟で胴を据えておらんと、一寸のことに心配致すという様な人民でありたら、肝心の御用がつとめ上がらんから、この大本は世聞から悪く言われて後で良くなる経論であるぞよ。(明治三十三年旧正月七日)伊都能売神論はさらに具体的に示す。三年先になりたら余ほど気をつけて下さらんと、ドエライ悪魔が魅を入れるぞよ。辛の酉の年は変性女子(王仁三郎)に取りては、後にも前にもないような変わりたことができてくるから、前に気をつけておくぞよ。(大正七年十二月二十二日)辛の酉の紀元節、四四十六の花の春、世の立替え立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組。(大正八年一月二十七日)「三年先(大正七年から)になりたら」も、「辛の酉」も大正十年に当たる。「紀元節」に王仁三郎の拘引が発せられ、翌十二日に検挙される。「四四十六の花の春」は大正十六年、すなわち昭和二年五月十七日に免訴となり、事件が解消する。嬉しい花の春だ。「凡夫の耳も菊(聞く)の年」とは、マスコミが当局による捏造をまじえておもしろおかしく報道し、「立替え立直し」の予言が万人の耳をそばだてたこと。「九月八日」は大本にとって因縁の日で、王仁三郎に霊界物語の口述の神命が下る。また昭和二十年九月八日、大審院の判決により、第二次大本事件が終わる。