第三章 第三次大本事件に隠された「霊的真理」

 第三次大本事件とは何か父の死を機に、大本はさらに大きく変貌する。父は教団内の出口栄二・出口京太郎の二つの派閥の間に立ち、何かと和合させようと努力してきた。だがその努力には、一面、あきたらぬ思いを持つ人もいたろう。そして出口伊佐男という重石が取れたことで歯止めを失い、両派の対立の抑制がきかなくなる。いわば父の死は、王仁三郎が新生させた愛善苑の終罵であったかも知れぬ。三代教主と父との約束を無視できず、私は教団入りした。だが実際に内部に入ってみて、王仁三郎の予言通り、教団の変貌ぶりをいやおうなく知らされる。斎司会は栄二派が力を握り、本部執行部は京太郎派で占められていた。教団執行部は出口直日、日出麿を生神に祭り上げ、生神が現存するのだから、出口直や王仁三郎は過去の人、筆先や霊界物語は過去の教典という指導が行なわれ、地方の純粋な信者までそう信じるようになる。昭和五十五年三月九日、大本教団の前途を憂うる少数の本部奉仕者や地方の信徒によって、株式会社「いづとみづ」(後に「いづとみづの会」と改称)を設立する。この株式会社で霊界物語を研鑓する雑誌を発行しようというのだ。たとえ迂遠であっても、少しずつでも教団を改革しようという願いであった。なぜ教団改革に当たって株式会社設立という変則的な手段を採ったかというと、まともな手段では、強力な本部執行部の権力によってたちまちつぶされるだろう。株式会社なら国家の認めたものであり、教団執行部といえども解散させられまいという、苦肉の策であった。ひそかに準備を進めるうち、教団情勢はますます憂慮すべき事態になった。兵庫県竹田別院の所属問題が第三次大本事件の直接の火種になる。紙数の関係で省くが、私たちは教団改革ののろしを揚げる。世間ではそれを第三次大本事件と呼称した。まさに第三次大本事件はうちわ(内部)から起こった。しかも問題が竹田別院からである。王仁三郎は「竹だ、竹だ」と、発火地点まで的確に予言していた。金も力もない「いづとみづの会」の人たちにとって、頼りは根本教典の霊界物語だけである。私たちにしても、今まで尊い教典という認識で読みこそすれ、膨大なその量(八十一巻八十三冊)に圧倒され、真剣にその世界に没入し、秘められた真理を読み解こうとする熱意がたらなかった。だが「いづとみづの会」の仲間たちが霊界物語の拝読の輪を広げるにつれ、物語にこめられた教えのすばらしさに魂を揺さぶられ、信仰は一段と不動のものになって行く。