霊界物語では、オウム真理教の出現も予言

 八月、私は教学委員を解任される。昭和五十六年一月、三代教主直日は「道を守らん」なる文章を発表、教団批判派の粛正を宣言する。九月、出口栄二の教団追放を行なう。栄二は「いづとみづの会」の運動に参加していなかったが、難癖をつけて京太郎派の長年の念願を実行したのである。栄二派の人たちは「出口栄二を守る会」を結成する。十二月、栄二は宗教法人「大本」を相手取り、地位確認訴訟を起こす。昭和五十七年になると、二月には斎司家・斎司制度廃止、教学委員会・教典編纂所・教学研鑽所を廃止する。教えを学ぶ機関をすべてなくして、片肺飛行をしようという暴挙である。執行部は第三次大本事件の原因の一つに、霊界物語を勉強することにより、教団執行部批判の意識を強めたと考えたからである。筆先では大本の世継ぎは女であると決められ、大本教法では「教主(出口直)の血統を受け、出口の姓を名乗る女性」と定められている。直は生前、「私が死んだら、こっそり直日のおなかに入って生まれ変わってくる」と言い、信者たちは直日の長女直美が出口直の生まれ変わりと信じていた。そして王仁三郎、澄も四代世継ぎは直美と断言していた。ところが本部執行部は、ひそかに直美追放をもくろんでいた。私たちは直美が追放されるのではないかと危倶し、教団につく信者たちにも「道統の危機」を訴えたが、教団執行部は「大本における教主継承の権威」と題するパンフを全国に配布する。大本の道統に不安をかもすような言葉を口にするものも、それに迷わされるのも、ともに大本道統の権威を知らぬからであります。かりに野望をもって狙ってみても、神さまがお許しになるはずがありません。それさえ分からないようでは、かなしいかな、大本の信仰とは申されません。…なお、教主さまは「直美に後を継ぐように」とはっきり申されています。教嗣は直美さまと定められました厳然としたみ言葉を、確かにいただき、現在の教主さま、教主補さまを中心に、現在のご神業奉仕に、心を一つにして邁進さしていただきたく…。よくも言えたものである。だが大半の信徒はこの言葉を信じ、「いづとみづの会」の訴えを誹謗中傷として非難してきたのだ。三代直日は、「神定の直美を変えることがあれば、私は行くところへ行けない」とまで言い、信者の動揺を抑えてきた。だが私たちの紀憂は間もなく現実となる。昭和五十七年五月二十五日、大本の総代たちが亀岡の天思郷に集合、翌日の総代会の議題も知らされず、噂しあう。翌二十六日午前六時三十分、大本役員、総代、外郭団体の人たちを乗せたマイクロバスと乗用荷物車二台がひそかに天思郷を出発、摂丹街道を一路大阪の天王寺駅構内の「都ホテル」に向う。八時二十分着。間もなくホテル四階で第六十回大本総代会が開催される。議題は「教主継承規範の改定」。重要な総代会が本部以外の、しかも一般施設で行なわれたのは初めてのことで、よほど神威を恐れたのであろう。ついに本部執行部は、神定の四代継承者であった出口直美を追放し、三諸聖子(きよこ)(出口直日の三女)に変更する。彼らは邪魔が入らぬうちにと、それぞれ電話機に取りつき、地元に報告する。三諸家に嫁ぎながら、四代継承者となった聖子は出口姓に戻り、大本教法に沿うよう形だけ体裁を整える。直美の追放は直、王仁三郎、澄の意志を無視したばかりか、資格のない聖子を四代継承者としたことで、教団はみずから大本教法を無視したのだ。しかも聖子には子がなく、信者の娘を養女にもらっている。ここにおいて、教団は大本の名を残しながら、まったく別の教団に変質した。霊界物語十五巻八章は「ウラナイ教」である。ウラナイ教は霊界物語の中で描かれている反瑞霊教団であり、教主は稚姫君命(出口直の霊魂)の直系を偽称する高姫で、素蓋鳴尊の瑞の教えを絶減しようと支離滅裂の教えを説く人造教である。大本では、出口直が゛表゛で、゛裏゛が王仁三郎という認識が定着していた。「ウラナイ教」の名も、裏がない、すなわち王仁三郎の教えを受けつけず、出口直の表教だけでやろうという密意がこめられている。ウラナイ教の信者は目をくりぬかれ、耳の鼓膜を破られ、見えぬ聞こえぬ連中ばかりである。つまり世間のことは見ざる聞かざるで、高姫の教え一筋にさせるためである。そこでの食事はどんぶり鉢いっぱいの麦飯にとろろ汁だけ。つまり教えをよくかまず、丸呑みに流しこむという暗示なのだ。教学を封じ込めたことは、まさしくウラナイ教と同じく、信者の目をくりぬき、鼓膜を破り、麦飯ととろろで本部の通達を丸呑みにさせようとの意図ではないか。引用の「ウラナイ教」では、風雨にさらされた表札にかすかに「ウラナイ教の本部」と神代文字で書かれ、「本部」に「おほもと」とルビがふっである。大本天恩郷もまた表札に「おほもと」の文字が書かれ、風雨にさらされている。高姫には、実はモデルがある。出口直の三女福島久で、他家に嫁ぎながら直の血統を誇り、反王仁三郎の急先鋒に立った。聖子も出口直日の三女で、他家に嫁いだ人である。しかも聖子の夫、斎は日出麿生神論のかたくなな信奉者で、大本梅松塾の塾長として有為の青年に間違った信仰を長年ふきこんだ張本人である。三代教主並びに総代は、いちばん四代にふさわしくない人を選んだ。読者は、ウラナイ教にオウム真理教を連想しないだろうか。信者たちは批判する力を奪われ、完全に洗脳され、オウムのように同じことを言い立てた。麦飯とろろ汁で洗脳されていたのである。平成七年五月十六日、オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫は山梨県上九一色村で逮捕されるが、信者たちは東京駅頭などで大量のチラシを撒き、大本事件と麻原逮捕の類似を印象づけ、国家的弾圧かのように宣伝した。またテレビに出演した幹部たちもそう発言した。麻原は「尊師」と敬称されたが、執行部によって生神に仕立てられた出口日出麿も、晩年の敬称が「尊師」だったのである。さらに麻原の後継者と目された娘は聖子と同じ三女だった。霊界物語第十五巻八章・九章は大本教団変質の悲しい予言であった。直美追放によって、「出口栄二を守る会」は「出口直美さまを守る会」に改称。大本は教団本部と「いづとみづの会」の三つに分かれる。教団執行部は反執行部と見られる信者たちに次々と教団離脱勧告を行ない、昭和五十九年二月には離脱勧告者三百九名の氏名を公表する。一方、出口日出麿著『生きがいの確信』(講談社刊)の大頒布キャンペーンを展開する。